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Cha History「お茶とともに日本」日本茶・鹿児島茶の歴史独自の茶文化を創造し世界を魅了した、日本茶と鹿児島茶の軌跡。3

奈良 748年 僧・行基が東大寺はじめ諸国の寺に茶木を植えたという記述がある。
平安 805年 最澄が唐より茶実を持ち帰り近江坂本日吉社(滋賀県)に植えたという記述がある。
806年 空海が唐より茶の種や石碾を持ち帰る。
815年 唐より永忠が嵯峨天皇に茶を煎じ奉るという記述が『日本後記』に登場。同年嵯峨天皇が畿内・近江・播磨の国々に茶を植えることを命じたという。
910年 弘法大師の霊前に新茶を供え、それ以後年々の恒例となる。
951年 空也が疾病流行時に推奨した大福茶が始まる。
鎌倉 1191年 栄西が宋から茶種を持ち帰り、筑前脊振山に播種したとされる。
1193年 頼朝の富士巻狩に際し須山村(静岡県)の住人が自宅前の野生茶樹の葉を摘み、飲料として頼朝に献じたという。
1207年 後に「茶の十徳」を述べた明恵が、栄西から贈られた茶の種を栂尾高山寺(京都)に播種し宇治茶の起源をつくる。
1211年 栄西が日本最古のお茶の専門書『喫茶養生記』執筆。
1214年 空也が疾病流行時に推奨した大福茶が始まる。
1235年〜 道元が茶礼の基礎をなすといわれる『永平清規』を執筆。
1239年 西大寺にて大衆のための大茶盛式が始まる。
1241年 聖一が『東福寺規則』に茶の湯の原型となる茶礼をまとめる。
1320年〜 「闘茶」が盛んになる。
室町 1336年 足利尊氏により『建武式目』が制定され「闘茶」が規制される。
1378年 足利義満により諸国に茶園の育成が促される。
1403年 東寺南大門前に一服一銭のお茶売りが出現する。
1450年頃〜
1600年頃
茶道の大成者登場。村田珠光が茶禅一味の侘び茶を創始。武野紹鷗が茶禅一味を継承。千利休が茶の湯を大成。古田織部が大名茶を確立。
室町 1580年頃 織田信長は度々茶会を開き、茶器の名物狩りなど茶道政道を行う。
1587年 豊臣秀吉により京都北野にて大茶会が催され茶の大衆化も進む。
室町 1610年 織田信長は度々茶会を開き、茶器の名物狩りなど茶道政道を行う。
1632年 豊臣秀吉により京都北野にて大茶会が催され茶の大衆化も進む。
1661年 隠元が禅とお茶と一体化させる。
1690年 ドイツ人医師ケンペルが来日。茶の文化に関心を示し『日本誌(1727年発刊)』に詳述。
1735年 煎茶道中興の祖・売茶翁が京都東山に茶店「通仙亭」を設ける。
1738年 煎茶の祖・永谷宋宗円が蒸し煎茶を考案。
1835年 山本嘉兵衛(徳翁)が玉露を考案。
1853年 [ペリー艦隊浦賀に来航]
1858年 「日米修好通商条約」締結によりお茶の輸出が始まる。
明治 1868年〜 [明治維新]有力茶商の登場。
1869年〜 牧之原台地を筆頭に茶園の開拓が始まる。
1874年〜 政府が紅茶製造を推奨。
1890年〜 パリの万国博覧会に日本茶の喫茶店を出展。
1896年〜 高林謙三が「粗揉機」他、数々の製茶機械を発明する。
1906年 岡倉天心により『茶の本』が、日・英・独・仏語で出版される。
1835年 山本嘉兵衛(徳翁)が玉露を考案。
1853年 [ペリー艦隊浦賀に来航]
1858年 「日米修好通商条約」締結によりお茶の輸出が始まる。
大正 1937年 (日中戦争勃発)
昭和 1945年 (第二次世界大戦終結)
1947年頃〜 アメリカへのお茶の輸出量増加。
1960年 緑茶輸入の自由化。
1975年 茶業最盛期を迎え荒茶生産量が戦後最大となる。
平成 1982年 緑茶の缶飲料が初めて販売される。
1990年 緑茶のペットボトルの販売が始まる。
シーボルト-NIPPON-第2冊〈茶の木と実〉

『シーボルト-NIPPON-第2冊〈茶の木と実〉』
福岡県立図書館所蔵

粗揉機

高林謙三が発明した「粗揉機」は、現代の機械においても基本的な構造は変わることなく採用されている。茶の水分量を見極めながら回転速度などを調整することによって、様々な種類の茶の加工を行うことができる。

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